食生活研究〜パクチーの食文化と今後の展開について(3)〜

今晩は。

今日は真面目なテーマです。

食生活研究という一般にはあまり馴染みのない書籍ですが、隔月で3冊に渡り、パクチーの食文化と今後の展開について開催した県談会をまとめております。

少し内容をかいつまんで紹介しますが、タイトル的に堅苦しいかもしれませんので、興味ある方だけ読み進めてください(゚∀゚)

帝塚山学院大学の安部 一博教授と羽衣国際大学の野口聡子教授とともに、各先生方の専門的な視点から捉えたパクチーの食文化の今後の展開について情報交換とともに考察していきました。

驚いたことに日本ではパクチーが浸透していた時期が今まで4度ありました。

古くは①平安時代②江戸時代③明治時代④第二次世界大戦後、そして⑤回目としての”今”です。

それぞれの時代性で入っては薄れて、入っては薄れてと、繰り返しているパクチー史。

①平安時代では中国から伝来したパクチー(胡荽コスイと呼ばれていた)が朝廷専用の農園で育てられ、薬味として使われていた。民間レベルにまで浸透していたかは不明だが、安部教授の考察によると、もともと肉・魚といったタンパク源とともに薬味として使用されていたパクチーは仏教の浸透により、肉料理が少なくなり、衰退の大きな要因となったとの事でした。

②江戸時代にはポルトガルから伝来し、今度は名前を変えてコエンドロという名称で浸透しました。1697年の農業全書にも『体に良いからもっとみんな作りましょう』と書かれ、栽培品種として強く推奨されていますが、肉料理の種類が多くなく、爆発的に浸透することはなかったようです。

③明治時代ではそこそこ利用されていたのですが、肉料理の流行が牛鍋だったため、あまり活用の頻度は高くなかったようです。

④第二次世界大戦後は様々な国の方が日本に入ってきた時代。各国の方が自国の食文化を求めての結果、多角的にパクチーが流入したため、今の平成パクチー史の土台となるような料理が日本で作られるようになってきた時代だったのだと思います。

⑤そして現段階では日本国内で様々な国の料理が食べれるようになり、キーマンとしての存在、パクチーが求められるようになりました……が、国内需要に関わらず供給が間に合わず高値で売買される高級香味野菜として存在しています。

ということで、GOGOパクチーでは日本が世界が繋がっている証拠でもある、『パクチー』の浸透を継続的に行うために、なんとか踏ん張って”パクチー食べ放題”でお値段気にせず食べてもらえる場として4年前に開業しました。

話が変わりますが、パクチーを日本に浸透させてきた先駆者である『パクチーハウス東京』が10年間営業していた店舗を閉鎖して、3月10日をもって無店舗展開に切り替わります。

パクチーハウス東京のオーナー、佐谷さんは平和の象徴としてパクチーを提唱してきましたが、この県談会を重ねて、まさにその通りだなと深く納得しています。

少し宣伝になってしまいますが、GOGOパクチーではさらに深くパクチーを浸透させるためにも、2月から毎月8日をパクチーの日として、500円ランチ(もちろんパクチー食べ放題)を行います。

もっと身近にするためにも、まず価格から取り組んでみようと思います^_^

今までの時代でパクチーが浸透しきれなかった理由は現段階では生じていないので、パクチーを中心に、もっと面白い展開が期待できそうです🎶


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